2011年7月22日  戸狩区中間慰労

 昨日、戸狩区の定例組長評議員会があり、そのあと区役員の中間慰労があるということで、お呼ばれしてきました。 組長評議員会では、毎年8月9日に行なわれている、「成相観音火祭り」のことが議題としてだされました。この火祭りは、何百年も前から続いているとのことです。私たち子供のころは、ヨシやモエの棒で大きな松明を作りかついで歩いたものですが、今は木の棒の先にきれを巻いて灯油に浸し、松明として暗い道を照らしながら、お観音様にお参りに行きます。

 良く撮れた写真が見つかりませんが、1枚、ぼけた写真を載せます。
 今年は綺麗な写真を撮って、見ていただきたいと思います。

 戸狩以外の集落の方でも結構ですので、ご家族連れでお参りにお出かけ下さい。たいまつは用意してあります。

  

  成相観音は由緒あるお観音さまですので、その由来を載せます。

  成相観音御旧跡由来

  遠い昔、寿永年間に真観というお坊様が丹後国総持院成相寺京都府)の観音様の御分影のお供をして、衆生済度の旅をなされてこの里まで来られた時、、永年の旅の疲れが出たものか病気になられて旅を続けられなくなってしまい、戸狩の人々にこの里で生涯を終えたいと話され、小さな庵を建て観音様をおまつりして念仏三昧の中に往生されたと言うことです。その後、成相観音様は御利益があるということで参詣人も多くなり、遂にはこのあたり一帯に七堂伽藍が建ち並ぶほどになり、上杉謙信公も小菅権現の夢のお告げによってこの観音様に戦勝祈願をされたと伝えられています。
 ところがある時、山火事が起こり諸堂ことごとく類焼する惨事に遭いましたため、村人は観音様の御像をお守りして光明寺にお還し申し上げました。この御旧跡にある五輪塔は隆盛時に成相観音様を信仰した豪族のものかと推測されます。
 毎年8月9日夜にたいまつをともして御旧跡詣でをするならわしが、今も受け継がれています。